すべてのクソ最低な正義に花束を。
「知らなかったので」の枕詞で「生暖かく見守っていただければ幸い」では全くないのだ。
乃木坂46のシステムについて
一軍と二軍の分けで仕事内容がまったくかわってくる。
・シングルCD表題曲を歌うのは選抜のみ(アンダーはカップリング曲を歌う)
→PV撮影、歌番組出演は選抜のみ
乃木坂46のCDは1シングルにつきA~Dの4枚で構成されている。
それぞれに1曲ずつ違ったカップリング楽曲が収録され、
A~Cについては、そのミュージックビデオが収録される。
そのため、基本的にはメンバーの全員がミュージックビデオに出演している。
さらに、グループのデビュー時にプロデューサーの秋元康さんから、
「ひとりひとりのミュージックビデオを特典につけよう。」というムチャぶりが
運営チームに対してあった。
これをきっかけにファンになった人も多い「個人PV」がそれだ。
有名監督から、新進気鋭の監督まで。メンバーひとりひとりに監督があてがわれ、
撮影されたショートムービーが全員分特典映像として収録されている。
以降毎回ではなくなったが、不定期でこの特典映像は収録されている。
特に伊藤万理華さんはこの個人PVが、そのままCMに直結した。
幅広いクリエイターとメンバーを結ぶ機会にもなっている。
選抜について
・タレントとしてのテレビ出演や雑誌企画などの芸能活動も、原則選抜のみ
ここが実に厳しい。選抜に選ばれなかったら事実上無役になるのだ。
シングルCDのプロモーションを行うことを考えれば、
結果的にそのように見える。
デビューして間もないころは目につくメディアも限られているためより顕著に見えるだろう。今はどうだろうか?
3列目は事実上、バックダンサー扱いになってしまうのだ。
3列目は、バックダンサーではない。
特に、映像になった際には3列目中央部が、前列両サイド以上に長時間画面上に存在している。
乃木坂ってどこ?/乃木坂工事中での選抜発表のナンバリングで印象は数字の順番になってしまいがちだが、それぞれ意味のあるポジションに彼女たちは立っている。
〇発表シーンは全て(全シングル)テレビ番組で放映されること
発表による悲喜こもごもを全て記録し、白日の下にさらけ出す。〇立ち位置も発表され、そこに立たされたまま進行していくこと
彼女たちが身をおいている世界自体が「選ばれる/選ばれない」の終わらない繰り返しである。
そしてシングル楽曲のメンバーについてもいずれにせよ「選ばれる/選ばれない」なのだ。
見られていることで彼女たちは誰かに共感される機会を得ることができる。
MCのバナナマンも、彼女たちに言葉をかけてくれるもっとも近い理解者として存在する。
ファンに対して「わたしの気持ちなんてわかってないくせに!」と思えることすら、
共感の一片と言える。
本当の恐怖は、誰にも知られず分かち合うことすらできないことだ。
中元日芽香さんを見つけられた方が生田絵梨花さんを「特別扱い」ですませてしまうことは本当に「残念」のひとことだ。
レ・ミゼラブル、ロミオとジュリエットでの活躍。付随した各メディア出演。
元々の美しい歌声とピアノのスキルも、彼女はグループで発揮している。
また、選抜発表をこの番組で行っていることからもわかるように、乃木坂ってどこ?/乃木坂工事中とも密接な関係があると言える。
それは、彼女たちの個性(タレントとして・テレビ的に)複合的な切り口で彼女たちを再発見する機会になる場所だ。
筆者の方は彼女たちを発見できなかったようだ、それは残念なことである。
②堀未央奈
堀未央奈は7thシングルの際、2期生ながら(2期生だから)突如センターに抜擢された。当然CD売上は伸びず、売上枚数からだと次回は選抜落ちしてしまうため、8thでは特例扱いされている。なお、以降は他メンバーとほぼほぼ同扱い
すべての植木鉢を日向に置くことができないから、芽がでそうな植木鉢を日向においてあげる。
そのプロデュースさえも"特別扱い"のひとことで終わってしまうのだ。
センターについて
位置的な意味では「センター」があり得ない状況でも、あえて「センター」というポジションをつくっていることから、乃木坂46にあって「センター」というのは、誰がトップなのかをわざと示そうとする概念的な意味を有すると考えられる。
全員を並列でならべれば誰も目立たない。
さらに言えば、グループ結成当初から、白石麻衣さん、橋本奈々未さんはセンターにふさわしいと言われていた。
しかし実際にセンターになったのは秋田の少女、生駒里奈さんである。
ショートカットの彼女は実際にたくさんの人の目をとてもひきつけたし、それは同時に、白石麻衣さんや橋本奈々未さんを、反作用的に100%以上に見せることに成功させている。
最初から彼女たちがセンターにいれば、彼女たちのポテンシャルを100%活かした活動はできただろうが、それ以上に幅が広がることはなかっただろう。
選抜発表の際の各メンバーのコメント聞くと、彼女達は見事に自分のことしか言わない。自分がいかに頑張るか、自分をいかに高めるのかという視点でしか決意表明しないのだ。
唯一自分としての言葉が求められる場面である。
以降の活動・外(冠番組意外)での活動で彼女たちはグループとしての言葉を強く求められる。
そしてライブ映像、メイキング、ドキュメンタリー映像では当然、仲間を思いやる言葉がきかれるのだ。
アイドルを知っているのなら、きっと想像することは難しくないだろう。
つまり
外から見れば事実上無役だったかもしれないが、
在籍時、何度も立った大きなステージ。他のメンバーとは違った独自のポジション。
ラジオ好きを公言していたことで、らじらーサンデーや、選抜メンバーとのバナナマンのバナナムーンへの出演等。
各番組や、雑誌などでも唯一無二の存在感を発揮しつづけていた。
大きなステージに立つ、ラジオ・雑誌で話題になる。
ひとつひとつはとても地道だが彼女をキャスティングする側にも情報が必要なのだ。
握手会はその切り口のうちのひとつにすぎない。
目先のメリット
結論から言って、特定の推しメンの方同士を闘わせて疲弊させながら利益をあげることによるメリットがない(全体のメリットからみて小さい)。
全体の枚数が上がれば、アンダーと呼ばれる彼女たちが知られる機会も増えるのである。
目先の小さな利益をとる理由はない。
アイドルのバイアス
イメージとして彼女たちを擦り減らし使い捨てるというのは想像しやすいかもしれないが、
自分たちでつくっていくサービスの1番の要だ。大切にきまっている。
アイドルとはいえ仕事である。
たくさんの大人が関わってつくっている。
表に見えている部分がその一部にすぎないのである。
先のエントリーのように見えていることすら、狙い通りに思える。
なんで?
なぜ、ファンの贈る言葉が想像と違っていたか。
極めてシンプルだ。
休養明けすぐだったこと。若かったこと。
もっと活躍できる、そんな気がした。
そんな時、誰もみな終わりのない問いかけをしたくなるだけである。
おわり
しかしそんなところに件のエントリーがあらわれてしまったのだ。
想像しなかったのだろうか。
彼女が過ごしたかもしれない大切な時間たちを。
想像しなかったのだろうか。
彼女がとても感謝しているかもしれない大切なひとたちを。
これまで過ごしてきた場所が、時間が、
邪推でズタボロに考察されることを望む人がいるだろうか。
ファンにとって、メンバーにとって、本人にとって、関わるひとにとって
無自覚にここまで非情になってしまうのだ。
「知らないから」という枕詞で、静かに去ろうとしている彼女の後を
泥だらけの靴で通り過ぎていくことを、正義と呼ぶらしい。